どちらかというとオンタイムでの活動に関する出来事、感じたことを題材に書くつもりです。 題材のテーマは、仕事全般、キャリアデザイン、パフォーマンス向上、コミュニケーション、人材開発トレンド等々が中心になると思います。 もし気が向いたらご覧ください。 そしてさらに気が向いたらフィードバックや気になっているキーワードを教えてください。相互にアンテナ化しませんか?
2012年6月28日木曜日
モルディブ。ようやくモードきたか。。
家族の節目を感じ、長期休暇を取りモルディブに来ております。
通常、私はこのブログでも何回か書いておりますが、リゾートではなぜかインスパイアされることが多く仕事や今後のキャリアの方向性を考えるするのが大好物なのですが、なぜか今回はなかなか頭にゾーンが来ませんでした。
それもやむなしかと思っていたのですが、終盤にきて何となく頭が開いてきた感覚があります。説明難しいのですが、センシングや思考がオープンチャネル状態と申しましょうか。。
昨日までは、昼夜と寝まくっていたのですが、何故か今日は全く眠くありません。
ちょっとこの半年仕事が忙しめで頭にノイズが満ちていたのでクリアリングに時間がかかったのかもしれません。
ただ、まだわかりません。このままヘタれる可能性も多いにあり。ただ、しょうもない記憶や思い付きがポコポコ湧いてきています。さぁどうなることやら。。
2012年6月9日土曜日
あるPMとの思い出を振り返って
段々、暑くなって来ましたね。今年はどんな夏になるのでしょうか。私は大好きな海外サッカーリーグの季節も終わりややテンションが下がっておりますが、サッカー欧州選手権が始まりましたのでまだ宴は続く感じです。7月過ぎにはTVにかじりついている時間がすっぽり空くので何か有効な事に転用してみようかなと思っています。
本題です。
つい先日、当社社員時代に仕事でかかわりのあったPMがお亡くなりになりました。
その方とは独立してからあまり接触できませんでしたが、在籍時は気兼ねないおつきあいをさせていただいていました。実力と独特の個性を持っていてかつ大変愛嬌のあるキャラクターでもありました。当社との関係が間接的になっているため彼の死を知ったのはしばらくたってしまった後でしたが、大切な仲間を失った悲しい気持ちになりました。
ただ、そのPMと私の関係の始まりは、ある仕事を通してで、実は当時私はそのPMを大変恨んでおりました。
その仕事とは、私が営業(たしか5、6年目くらい)だった頃、当時全く入り込めていなかった難攻不落のお客様に、『レアな専門知識を持つSEが高額で常駐コンサルをする』という仕事を上司がとってきた事がきっかけでした。
なんと、信じられないことに上司はそのレアなSEとして私を放り込みました。
私は入社してSEを3年間やりましたが、性に合わずに実力もつかないまま営業に逃亡した経歴の持ち主で、再びSEに戻るなどとは全く想定もしていませんでした。加えて今回の専門分野(高度交換器制御システム設計)に全くの素人だったのです。当然そのありえないミッションに震えあがり必死に抵抗を試みたのですが、上司は「大丈夫。経験豊富なPMをつけてあげるから、その人の言う通りにすれば、全く問題無いから♪」とかるーく私を客先に放り込みました。
ところがいざ蓋を開けてみると、その頼りになるはずのPMは「俺は兼務だから常駐は君ひとりでよろしく!」「その分野は俺も全く知らないのよ。何で俺なんだろうねぇ♪」「きっと何とかなるよ。好きにやっていいから!!」と全く相談にのってくれません。
加えてあろうことか、お客様の開発会議にたまにきては「こんな開発スタイルはありえない!」「これじゃ品質の高いシステムを作るのは難しい。。」とクライアントを挑発するだけ挑発して、「えっけい、後はよろしくな♪」と足取り軽く帰っていくのです。彼が帰った後はいつもお客様側の開発責任者が私の机に来て、「まぁ、私たちはどうせシステム部とはいえ所詮素人集団ですから。一流のプロである御社のお手並みを拝見させていただきますよ」と怒りの炎を目に宿して低い声で語りかけるのでした。
私の席は広い部屋の中の数人分の机に一人だけ。周りは全て競合ベンダーさんの机です。興味本位のチラ見を毎日大量に浴びせられます。昼食・トイレ以外の飲み物等の休憩は隣の部屋の客先の責任者に許可を断ってからでないと席をたつことはできません。日中、ほぼ他者との接触は席外しの許可取りと会議くらいしかありませんでした。(今思うと会社からの退職勧奨だったのかもしれませんね(笑)
きついストレスとプレッシャーに置かれて毎日を過ごすはめになった私は、「この事態を何とかしてくれ」とPMに(時に涙を浮かべて(笑))猛烈に抗議をしました。時にはクビ覚悟でそのPMを面と向かって罵倒もしました。でも彼はそんなことはお構いなしで、「えっけい、そんなに怒るなよ~」「なんで俺の気持ちわかってくれねぇのかなぁ~」とタバコをぷかぷか吸いながら軽く言うのでした。
結局、私は退路を絶たれて救いも無いまま、その期間中は、毎日帰宅するとこの分野の勉強を入門書から始め(いつも机で本とPCに倒れこんで寝落ちしてました)、昼間は客先でその分野の専門家然として前夜に勉強した内容でコメントしたり資料を作成したりと綱渡りの生活を続けました。結果、最後まで自分の正体はクライアントにバレずなんとかしのぎ切れました。なんと仕事内容を褒めてももらえたそうです(何が評価対象だったのか今でもわかりません。自分なりには考え尽くしたつもりですが)。
ただ、終わった時はあまりの憔悴に達成感なんかかけらもなく、ただただ、生き延びたという感覚しかありませんでした。そして思い出すたびにまわりの無責任ぶりへの怒りが長い間収まりませんでした。
仕事が終って打ち上げた時、そのPMは相変わらず続く私の恨み節を聞きながら、「えっけい、悪かったってぇ。もう終わったんだからそんなに怒るなよ~。俺の言うとおりなんとかなっただろう♪」と相変わらずかるーく接してきます。ただ、この時はいつもと違う強い口調で「でもお客さんは本当に満足していたぞ。おまえは最高の仕事をしたよ。俺は心底嬉しいなぁ。」と繰り返し言ってくれました。(まぁそれでも私の怒りはおさまりませんでしたが)
以来、このPMは会うたびに(私をヘッドロックして)繰り返しその時の事をほめて私を信頼してくれました。人間、怒りはそれほど長くは維持できません。ましてや相手は自分をなぜか可愛がってくれています。そのうちに、戦友的な感覚で親しい間柄になっていきました。
この時の経験は、私にとって長い間、「(1人で乗り切った)脱線ギリギリの修羅場」として認識されていました。色々な学びや教訓を手に入れることができた、いわゆる「一皮むけた経験」です。ここでの学びは今でも生きて自分を助けてくれていますし、キャリアの節目の逸話として他人にも語ったりしています。
一部の(「天は見ている」説を信奉する)人は「きっとその上司とPMはえっけいさんの成長を促すためにわからない様に陰で見守ってくれていたんだよ。素晴らしい話だと思うなぁ」と言ってくれます。でもどんなに振り返っても、彼らが教育的観点から私を見守ってくれていた節は思い当たらず、私は「後一歩で本当にぶっ壊れる」というヒリヒリする感覚で仕事をしていました(最近よく聞く「danger」と「risk」でいうと明らかに前者の認知です)。
ですから、「彼らは実は意図を持った優れた教育者であった」という説にはいまだに受け入れる気にはなりません(笑)
そう、正直言ってこの話はキャリア的なメッセージを意図した美談ではないのです。
ただ、色々ありながらも今では仲間として強く親しみ感じていたPMの死を受けて、この経験を改めて振り返ると気づいたことがいくつかあります。それは、
もし、この仕事において予定通りにPMから明確な仕事の指示がありそれを実行していたとしたら、どんなに真摯に取り組んだとしても単なる普通の仕事の一つとして10年を大きく過ぎてなお記憶に上がる程のものではなかっただろうということ。
そして、これが私にとって一番意味のある気づきなのですが、
もし、上司とPMがこの仕事を使って私を成長させるためにあえて厳しく(でも細心の注意と管理を持って)突き放していたのだとしても私はこの仕事からこれだけの学びや自信は得られていなかったと思います。つまりは、それは【演出された修羅場】であるからです。本当に誰も助けてくれない、自分で何とかしないと潰れてしまうという危機感の中で得たものだからこそ自分にとって本当に意味の深い学びが起こったのではないでしょうか。
一般的に部下側の視点では、上司はゴール到達までの道筋をほぼ予測して計画的な育成を織り込んだジョブアサインを部下にするのが正しい姿だと考え要求します。ただ、現実の仕事はそんな理想通りに扱えるものなどごくごく僅かにすぎず、時にミッションを与えられた段階では、それをどう扱って良いものか、そもそも達成できるものかも上司が全く見えない状態出始めるのはよくあることなのです。当然、育成を計画的に織り込んだジョブアサインを部下にできるわけなんかありません。そういう時には(部下が乗り越えられる)確信が一切なかったとしてもアサインできる部下にとにかく委ねて後は天に祈るしかないというケースは少なくは無いわけです。それにより、もしかしたら部下が壊れるかもしれないし、責任放棄して逃げるかもしれないし、ミッションはクリアできないかもしれない。でもその事実を認識し、起こる結果を自身の決断の結果として受け入れ、自分に出来る事を淡々とするのがマネージャーの運命と言えるのかもしれません。
だからこそ、このPMは、なんとかサバイブして一応結果を出した私を我が事のように喜んでくれたのもかもしれません。今思い返すと、もうダメかもと思っていた仲間が戦争から無事生還したかのような歓迎を彼は示していたような気もします(そういう仲間愛にあふれた人でした)。
逆にそのようなシチュエーションで仕事に従事する部下としては、その与えられた現実を理解してそれでもどの様に向き合っていくのか覚悟を決めることが重要なのでないでしょうか。予め救済が保証された状態でのみ仕事をする人間に深い自信・成長・自立が起こることは無いということとも言えるかもしれません。
思い出してみると、私はマネージャーだった頃、メンバーのモチベーションが高く成果もちゃんと出しながら成長し続けるチームが作りたくて色々と試行錯誤していた時がありました。その時はメンバーも努力を続けてくれて、スキルが高く良い価値を生み出す集団になることができました。ただ、私はメンバーの自立が本当に高いレベルで起こらなかった事に不満を持ちました。私は当時その要因をメンバーの意識に帰属させそれを不満に思っていたのですが、今あらためて考えると、過剰に自分が環境をマネジメントしようとし過ぎていて実験室的な状況を作ってしまったせいだったのかもしれません。
今回、このメルマガを書くことによって、そのPMは私に幾つもの大事な学びを複数回にわたって与えてくれた恩人なのだなと改めて気づかされました。
このちょっといい加減な、でも憎み切れない愛嬌を持ったPMに感謝するとともに哀悼を
ささげたいと思います。彼のお別れの場には本当に多くの人であふれかえっていたそうです。
追伸:
改めて当時の自分を振り返ると情けない位に甘くて浅い奴ですね。恥ずかしすぎます。
また何を深刻になって体を張りながらも絶望して怒り狂っていたのでしょうね。本当に危険だと思ったら踏ん張らず逃亡しても良かったわけです。そもそも上司は合理主義者でしたし、おそらく「駄目ならgive upする(壊れるまで踏ん張らん)だろうし、そん時はそん時で対処しよう」程度に考えていたのだと思います。こんな状態に陥ったのも、ある意味わたしの生真面目だけど視野の狭い性格故なのかもしれませんね。
追伸:
通常、ブログ等を書く際には中心となるメッセージを意識して内容を構成していくのですが、今回は上記のPMの思い出を振り返った時に、何かまだ説明しきれないモヤモヤとしたものを感じたので、先ず思いつくままに書き下してみました。そして自分の書いた文章を何度か見返すことによって、新たな気づきが湧いてくるという事が起こりました。
興味深い記述法でもありました。
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