2011年6月26日日曜日

娘お箸を使う

ちょいと親ばかネタです。

一ヶ月前位に、三歳の娘の通う保育園で妻が先生に聞かれました。

「りこちゃん、箸がうまく使えなくて苦労しているんですが、おうちではどうですか?」

私はその話を聞いてちょっとびっくりしてしまいました。

というのも、うちの娘は比較的要領覚えるのが早い方だと思っていたので、そんなことになっているとはちっとも思っていなかったからです。

でも確かに家では最近いい加減になっていて、エジソン箸やフォーク、スプーン、手等々入り交じって何でもありで特に箸訓練はしていませんでした。

そこで、箸を持たせてみましたが、エジソン箸の使い勝手が良すぎて箸を使おうとしない状態です。

褒まくったり、NLP的な間接メッセージやらで、取り敢えず箸を使わせますが、うまく出来ずに食欲まで落ちる始末。。そんなこんなで1週間近くそんな状態。


「強制をし過ぎて食事がつまらなくなるのも嫌だし、苦手感を作らせたくないし、こっちが指導しすぎて自主的な成長意識落ちても嫌だし。。」

なまじこんな商売しているだけに、あーでもないこーでもないと、結構陰で何がベストなアプローチかとこっそり悩んでおりました。

そしてそれから数日たったある日、最近の定番のセリフ、

「嫌になったらやめていいので少しだけお姉さんになる練習をしよう!」

をいいながら箸を食事の際に用意しました。

食卓に箸が並んだ状態で、既に娘の表情に軽く影がかかります。

最近の傾向であれば、暫くつまんなそうに箸を弄り、
「がんばって疲れたからもういい!」といってスプーンやフォークを使ってご飯を食べようとします。

でもこの日は少しいつもと違いました。

箸を見ながら何やら考えた娘、おもむろに箸を左に持ち替えました。

実は娘は左利きなのです。
ただ、左利きで箸を使うと右利きの人と手がぶつかりやすかったり、仲間で食事をする際に不便に感じる事が多くなるので箸は右で使わせる様にしようと左では特に教えてもいませんでした。

でも、なんと上手に使えるじゃありませんか。。娘も嬉しそうです。

「(やっぱり利き手か。。せっかく箸を使えるようになったのだから、変に右に矯正せずにこのままいかせるか。。娘の晴れやかな顔が一番だよねぇ)」

少しだけ躊躇いを感じながらも私は、

「良かったね。凄いじゃないか!」と娘の達成を一緒に喜びました。

でも、少しだけ未練たらしく、一言弱々しく追加しました。

「右も使えたら、ものすごくかっこいいんだけどねぇ」

すると娘は急に真面目な顔になって、左で持った箸の握りを丹念に確認すると、

急に箸を右に持ち替え直しました。そして、

これまた、上手に右でも箸を使い始めました!

これには私、完全に予想外で、こんな事もあるのか驚愕しました。
娘も見たことの無い位に嬉しそうです。

とまぁ親ばかな話なのですが、

でも今回の件は、子供の話という以外に、成長という観点で非常に考えさせられる事の多い出来事でした。(そんなわけでエッケイonに書きました)


「事態を突破する瞬間の鍵は利き手(仕込みは非利き手が案外重要)


「相手の可能性を他人が勝手に見切ってはいけない」

そして、

「可能性の開花は、他人ではなく本人のマターである」

普段からも語っている話ではありますが、心のそこから腹に落ちた瞬間でした。

自分の仕事のモチベーションは、
人のブレークスルーの瞬間に立ち会うことなので最高な時間でもありました。

親ばかではありますが、あえて、娘に感謝したいと思います。
(これに味しめて変に欲かかない様にしなきゃ。。)

2011年6月13日月曜日

「3.11後のキャリアデザイン」

(注:本内容は某社で実施している1:1のキャリアコーチングサービスのクライアント向けに発行されたメルマガの内容のロングバージョンです)


皆さん、お元気ですか?キャリアコーチの野口です。
本当にお久しぶりな感じがします。サービスようやく再開になりましたね。皆さんと早く再会したかったです。

また、今回の災害により被害を受けられた方々に、心からお見舞い申し上げます。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族やご友人を失った皆様に、謹んで哀悼の意を表します。
この出来事がいたずらに風化せず、後々まで語り続けられる素晴らしい変革の契機とならんことを願っております。

さて、今回は震災後初めてのメルマガである以上、ここに触れずにはおけない気がします。
そこで今回の震災がキャリアデザインにどの様な影響を与えるかについて、私が考えた事を皆さんに読んでいただこうかなと思いました。よろしければ少々お付き合いくださいませ(長いっす!)

皆さんの人生にこの震災がもたらしたインパクトはどの様なものがあったでしょうか?

私は幸いなことに深刻な事態に至ることはなかったのですが、それでも、仕事先から何時間もかけて帰宅のために歩き続けたり、相次ぐ仕事のキャンセルで1ヶ月以上の空白期間(もちろん無収入でっせ)を味わったり、放射能の恐怖を実生活で体感し、知人・ネット・メディアから流れ続ける被災・原発事故情報を日々受け留め、様々な体験を通して人生の様々な面について深く考える事ができました。子供のこと、家族のこと、仕事のこと、仲間のこと、生活のこと。ここで考えた事は今後の人生に大きな影響を与る原点のひとつとなることでしょう。皆さんにも私と同じ様な日々を過ごされた方は結構いらっしゃるのではないでしょうか?

ここ最近に関しては、まるで震災が無かった様に、日常の動きに「戻ろう」「戻ろう」とする力が強くなっているのを感じます。当然、そのことは悪いということではありません。社会が安定を取り戻す事と経済活動の回復は非常に重要で、状況的にも強く求められている事でもあります。ストレス高い生活をし続けた人は慣れ親しんだ安定を、意識的にしろ、無意識的にしろ、求めるのも自然なことです。

ただ、こういった安定に向けた反動の作用には注意を向ける必要があると思います。なぜならば、たとえ一見しただけでは元の状態に戻った様にしか見えなくても、それは元に戻ったわけではなく、実は今までと異なるフェーズに移行しているケースがあるからです。我々は、こういった感じにくいが後々に決定的な差異をもたらしかねないトピックに敏感にならなければなりません。その様な鋭敏性がその人の人生に質的な差を作っていくのだと思っています。

今回は、震災とその後の騒動が契機となって起こっているキャリアのトピックを3つ取り上げてみます。

一つは『日本がリアルに危機を体感したこと』、二つ目は『人生において意思決定の場面が増加していること』、三つ目は『社会基盤の不安定・不確定さが明白になったこと』です。

先ず一つ目からですが、今までの日本で「理性的に推測すると日本は危機的状況だろう」という言葉はそれなりに語られていましたが、実際に危機を強く体感する場面は日常に殆どなく、ある意味、『ゆでガエル現象』となっていたと思います。「いずれ日本は活力を失って徐々に衰退していくんだろうな」と思いつつ、でも多くの人は特べつに変革の為の行動をするわけでもないという日々が続く状況だったのではないでしょうか。

でもこの震災は日本の危機をリアルに感じる契機になりました(東日本以北だけかな。。)。なまじ体感できない危機というやつは本当に対処が難しいのですが、我々は今回その危機を強いインパクトをもって体感しました。何かが変わるとしたら今がその時期なのかなと私は思います。そして自らを大きく変えていく人々が(主流になるとは言いませんが)今後確実に増えてくると予想しています。さて、天はトリガーを引いた気がします。皆さんはどうしますか?

二つ目に思うのは、3.11以後は、日常身の回りで意思決定をしなければならない局面が非常に増えているということです。「電車をあきらめて歩いて帰るか」「普通に生活するかこもるか」「家族で一緒にいるか妻子だけ逃がすか」「子供に与える水食料をどうするか」「仕事を通年計画通りにやるか」「政府や東電を信じるか?理由は?」とてもとても書き出しきれません。以前の生活であれば決断せずにうやむやに後ろ回しにできたものも、その場その場で逃げずに意思決定することが求められます。この時代この局面、何かを判断する時の絶対解は存在しません。間違っているかもしれないけど、自らが何らかの理由に基づいて自らの意思でとにかく決定していかなければなりません。そしてその為には、自分自身の中に人生を判断するための軸、基準をしっかり作りこんでおかなくてはならないのです。震災以降、意思決定の機会はより増えています。そしてその意思決定の質は皆さんの人生の質を変えるでしょう。皆さんは人生・キャリアを渡っていくためのぶれない軸を作り込んでいらっしゃるでしょうか?

そして、三つ目の社会基盤の不安定・不確定さが明白になったこと。
日本の社会インフラに揺らぎが生まれるなんて誰が思っていたでしょうか?
「インフラである、電力網・交通網・水道・サプライチェーン(・情報システムも?)が大事なのは分かるけど日本は長期間安定していて、インフラの存在意義って言われても正直リアルにはピンとこないよ」日本はそういう社会でした。企業にしても時間経過に基づく栄枯盛衰は当然ありますが、ある程度の規模の会社は比較的安定した経営を積み重ね、怖いのは間もなく来るらしいグローバリゼーションの波かなといった具合。

この様な前提においては、キャリアデザインのアプローチも、あえてざっくり表現すると、「この安定した社会の中で、個人がいかに機動してより自分らしい人生をおくるか?」という観点のものがメインストリームでした。いうなれば安定した社会を泳ぐ技術としてのキャリアデザインだったので、これもざっくり言うと、自己分析して自分らしさを特定して個人の夢を真直ぐに追求して行きましょう!的なやり方で良しとしていたと思います。でも今回の事態で、我々が安定的要素とカウントしていた社会環境の脆弱さを目の当たりにしてしまったわけです。どうやら我々は、この考慮する要素を絞った、やや単純化したキャリアデザインのやり方を少し見直す必要がありそうです。意識すべき視点をより広く、より深く考えていかなければならない気がしています。

実はこういった事は以前からも語られてはいましたが、それには思考する力が強く求められるので、多くの人は自身のキャリアをきちんと考える事を放棄して、より頼りがいのある組織・企業に所属して日々の仕事を一生懸命こなす事で自動的にキャリアを安定させるという戦術を取りました(私も!)
ただ、この戦術はもう機能し難くなっています。大樹に寄ろうとしても根っこがグラグラしていたりして実は不安定極まりない木(組織)がいかに多い事か。。(今回の東電さんを見てどう思われますか?彼等は何十年も超安定企業として認知され、優秀な学生しか入れないエリート集団として君臨していたのですよ。ポテンシャルのない人はいなかったはずです)。バブル期入社の私からしたらまさに想定外な時代としか言いようが無いくらいです。

変に安定しきった茹でガエルの社会においては『想定外は来ない』という考え方がまかり通っていましたが、今回我々は『想定外は来る』という事を、また『想定外という思考停止がいかに危険か』を身をもって知ってしまいました。我々はこの思考停止から抜けてきちんと考えるという事が本当に重要なのだと意識する事になりました。
我々は、不安定な社会を生き残るために、深い思考をもって多様な角度から自身のキャリアを考察しておかなければならなくなるでしょう。

さて、私が考える震災以後のキャリアデザイン上のトピックスは3つでしたが、いかがだったでしょうか?

大変長々と書いてしまったわけですが、キャリアデザインに際して震災以降から特別に新たなものが加わるわけではありません。私が挙げたこれらの観点は、しっかりとキャリアデザインをされてきた方は既に折り込んで考えていた要素でもあるのです。
ただ、これからは、本質的なキャリアデザインをする事が、皆さんにとってより必要と思われる時代になっていくだろうと私は考えています。(実はそういったニーズを感じている方がもう実際に増えてきています)

もう一つだけ加えて言うと、『キャリアとその人の人生がより近くなる』といいますか、より双方が統合されたものとして扱われることを人が強く求める様になる気もしています。

皆さんは、震災以降、自分のキャリアの在り方に揺らぎは生まれていませんか?見つめ直す必要は感じていませんか?一度、時間をとって、考えてみてはいかがでしょうか?意義深い時間になるかもしれませんよ。


最後に、最近クライアントや知合いからもらった、『この震災が契機となって考えたキャリア』についての言葉をシェアさせてください。

「もう以前の様にマシーンのごとく日々与えられる仕事をただ黙々とさばく生き方はできないかもしれません。自分の人生と仕事と会社の関係に明確な意図を持って過ごしたいんです」

「今回の震災で身の回りに色々なことが起きました。でもそれを通して自分がライフやワークでやれることが実はかなりあるし自分はそれをやりきれる能力があるんだということに気づきました」

「こんな毎日が不安な状況でも、子供を預けて仕事に行かなければならない自分がいる。正直そんな生き方どうなのかなとも思った。でもどうせそうすると決めたのならば、子供に胸をはれるような仕事をしなければと思いました」

キャリアがより人生と強く結びついた話が様々な所で聞こえてきています。

そして、これは電通の社員の方で現在被災地にむけた支援活動をされている方が語っていた言葉です。

「昔はこの様な事があると、何々会社として何をすべきかが語られましたが今は違うと思います。今は自分が社会や時代に対して何をしたいと思いそれを自分の所属している組織でどの様に実現するかを考える時代なんだと思います。実現の仕方はなんだっていい。組織で出来なければその分を個人で他で補えばいい。決めるのは自分です。だから僕は会社がどうかではなく、この人が何をしたい人なのかで、組むかどうか決める事にしています。」

昔でも同じ発想の人はいらっしゃったとは思います。ただ、意思決定の主が自分という個にあり、自分という個が何かを成し遂げるために場に働きかけていく。決して場からの刺激で動くのではなく自分が刺激して場を動かしていく(そして、活性化した個が個に閉じず、再び良質なコミュニティを形成していく流れも起こる)。私が理想としているキャリアの在り方もここにありますし、3.11後のキャリアデザインでより多くの人がこういったキャリアの在り方を模索することになるのではないかと考えた次第です。

追伸1:
東北で被災にあわれた方の中でキャリアを再開されている方が出始めています。工場で働いていた方が、ラインが再び動き始めた時に見せる活き活きとした顔、漁師の方が、漁再開のために手に入れた船を見つめる時のやる気に満ちた顔、人は仕事を取り戻した時に人としての強さを取り戻す事もできるのだなと改めて感じました。聞くところによると、今被災地で近頃最も望まれているものは、支援物資や支援金、ボランティア以上に、仕事だそうです。

追伸2:
現在、サービス再開直後で予約が混んでいる状況が続いており、皆さまにはだいぶご迷惑をおかけしておりますが何卒ご容赦ください。新規のお申込みも多く、自らのキャリアライフをしっかり考えたいという想いが尽きることは無いのだと改めて実感すると同時に、その様な想いをしっかりと受け止めてサポートできるよう日々研鑽して参ります。

何かご要望や質問ございましたら、お気軽にお問合せくださいませ。

以上です。

それでは皆様、また会いましょう!

2011.3.13追記
本内容は少し前に記述したものですが、既に時勢的にやや鮮度が落ちている印象があります。
人の意識の移りやすさは恐ろしいものです。
今回の事を風化させない心を保てますように!