2010年1月11日月曜日

純粋なエネルギーと他者貢献性


ある企業の幹部向けのコーチングの際、クライアントが思い入れを持ってやろうとしているある企画に関して、


「ちなみに@@さんのその企画推進に邪魔入れようとする輩はいないんですか?」


と問うてみた。(さすがに企業幹部とかだと政敵みたいな、何でも否定する相手はいないのかな?と思って)


クライアントは一瞬間をおいて(一応、頭を張り巡らしたのでしょう)


「いや、この企画は、純粋に会社に必要だと思う気持ちからだし、自分の利得や政治的な思惑に基づいたものじゃいないから変なちゃちゃは入らないと思うよ。それに放っておいたら誰も面倒くさがってやらない仕事だからね」


とのことだった。


その話を聞いて妙に心に刺さってしまった。


自分が会社をやめる寸前にやっていた企画もそんな感じだった。

この企画は会社(というか社員)に絶対必要だと思ったし、それを実現したいと心から願った仕事だった。それに、お恥ずかしながら、自分で手を上げて会社全体に適用するサービスを提案したのは初めてのことだった。


そのサービスは会社に必要だと厳密に・客観的に断定できるほどのエビデンスは無かったが、結果的に役職上下関係なく多くの賛同者が現れ、その実現のために自分を助けてくれた。


自分は大きな組織・規模で、かつ、「行動力よりも論理客観性が重視される(石橋ぶったたいて渡る前にぶっ壊すという意味ね)」会社の育ちのせいか、組織において個人の想い的な企画を出しても、きっと、よってたかって「出る杭は打たれる」のだろうと思い込んでいる節があったので、その企画が会社の制度として認められた時に、


「なんだ、出る杭って打たれないじゃん」(そりゃ微妙な抵抗勢力は存在していたけど)


と意外に感じた記憶がある。


フリーになり、色々な会社の話を聞くようになると、この手の話って案外多いってことがわかるようになった。


「発案者が強い情熱を持って企画実現に取組めば」、そして、「その企画が他者のためになるのものである」ならば、案外、周囲は邪魔しないものだ。


そして、絶対正解の無いこの時代、会社組織(社会性を持った組織)には、そういう風に言い出す人を待っている仕事や企画は無数に存在しているような気がする。(おまけに、そういう仕事は、想い入れの無い人からすると面倒くさくてうんざりするノルマ作業にしか見えてないケースが多い。当然、命令を受けなければ誰も手を出さない)



でも、強い「想い入れ」って奴は、その人の内発的動機から来るものだから、自分が「仕事に何を求めているのか」「どんな(風に)仕事をすることが自分の純粋なエネルギーを発現することにつながるのか」をきちんと見つめることが必要になるのかもしれない。でも多くの人はここが見極められていない。


けっこう簡単な話じゃ無いのかもな。でも、多くの人にそんな仕事への想いを見出してもらいたいなぁ。そんな風に仕事をすることは、自分だけでなく周りの人も幸せにすると思う。


(なんかうまく言語化できなかったな。。)


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