2010年12月31日金曜日

2010年終わります

もう2010年も終わりになりますね。

今年も皆さんにお世話になりました。改めて御礼を申し上げます。

今年1年を表そうと色々考えたのですが、あまり気の利いたものがまだ出てきません。

派手な年では無かったなと感じます。愚直に汗をかいた(比喩ですよ)年だったかもしれません。

派手な年では無かったというのは、あまりクリエィティブなワークが出来なかった感があるからです。

愚直な部分は、主にコーチングを仕事の柱として多く取組んだ年だった点といえましょう。

ただ、今年は昨年より迷いは少なく、一つ心理的に抜けた感があります。一つの節目を越えようとしている感覚を持った年でした。

それを実感している分、やるべきだと思ったことをひたすらねちっこく継続しました。

ねちっこく取組んだのが主にコーチングという分野でしたから、今年後半は自分でも少々テンションの低く妙に落ち着いた雰囲気になっていたようです。
よく「元気ないですねぇ」と声をかけられました(ぜんぜん普通だったのですが(笑))。

盛り上がり、メリハリはあまり利いた年にはなりませんでしたが、自分的にはなかなか満足のいった年になりました。

そしてまもなく独立してまる4年となりますが一つのサイクルが終わった感覚を感じています。

そして来年は新しい節目の年になりそうです。

なんか凄い楽しみです。

とか何とか書いているうちにもうすぐ新年になりそうです。

皆様よいお年をお過ごし下さい。

そして互いにインスパイアーしあいましょう!!

2010年11月12日金曜日

良い場所に辿り着くには(コメントにお応えして自分のケースを)

正義や公正さが語られず、顧客への愛も語られず、夢も語られず、愚痴や他者の非難がいっぱいの組織は長くいたくはないですよね(でもこういうのって、案外悪気なく無意識で行われているんですよね) 

こういうのにどうすれば巡り会えるんでしょうか・・・? 自らコントロールできるもの(感情)を変えたほうが良い、等と言われますが、やはりどうしても合わない上司との関係はとても辛く感じます。
最近燃え尽き感が強い昨今です。会社をやめてしまうくらいに考えないといけないのか・・・


珍しくブログに(SAさんから)コメントをいただきました。読んでたら気持ちが上がってきたので長くなっちゃうからブログにしますね。



「口で言うのは簡単だけど、実際はねぇ」って感じですよね。
自らを変えるというのもコミュニケーションの理屈的には正しいですが、辛いものは辛いです。辛さが高すぎるとなかなか気持ちを制御できないですよ。

私もこんな状況が何年も続いて、ぶっちゃけ、だいぶ腐ってどす黒くなっていましたから気持ちすごくわかります。

ただ、私の経験で言うと、でも諦めちゃ駄目って感じですかね。諦めたら環境に巻き込まれてそこで終了です。そんな人を何人も見てきたし今も見ています。

それと、ささいな事でもいいから行動するってことでしょうか。


諦めず自分の想いを発信する、「同じ想いの言葉」を発する人を探す、そんな人と呼応する、そういう時間を必ず確保する、それもできるだけ長く。onタイムで駄目ならoffタイムでもいいから。

そして、そういう連中に認められる様にこっそり自分を磨く。

そして、折角だから仕事の時間もそんな時間に変えてしまうために知恵を使う。

って感じですかね。

自分のケースでは、

最初はひょんなことから社外でそういうコミュニティを見つけました(ただの社外研修です)。そんな連中と話していると本当に落ち着いて「ああ。ようやく真っ当な場所に辿り着いた」と感じましたっけ。

そして、少し心が安定したので(自分を変えられる余裕ができた様で)、社内で構えず同じように想いを呟いてたら、案外周りにも同志がいることがわかりました。(驚いたのは入社時に出会った少々違うタイプと思っていた先輩が、気づいたら一番の仲間になっていました)

そして、OFFで喋っているだけじゃつまんなくなって、せっかくだからそんな想いを仕事でしゃべっていても不思議じゃない場所を作ろうとしてねちっこく活動してたら10年目位にそんな場所ができあがりました(10年です。長いでしょう?())。

実はそれからも紆余曲折あったのですが、基本はハッピーなキャリアにトレンドが変換した感じです。そして、気づいたら、さらに想い強くなって独立しちゃいました()

今思うポイントは、諦めなかったこと尽きるかなと。そしてそれを仕事で実現できるように知恵を尽くすってかんじでしょうか。どうせ頭使うなら、適応や我慢用じゃないところにしたいですものね。(自分にやりたいことなら知恵は凄く回ります。これ経験談)


さて、これはあくまで一個人の例です。SAさんに合わない場合もあるかもしれません。
でも諦めないでくださいまし。

先ずは、自分の心が落ち着く時間と場所をなるべく身近に確保することかもしれませんね(心が落ち着くというのはレジャー的に抜くってことではなく、心の想いを誰かと交わすってことが大事です。)

SAさんオリジナルなハッピーストーリーができることを祈ってますね。

2010年11月10日水曜日

キャリアコーチングで感じたこと

以前勤めていた会社にキャリアコーチングサービス(1:1でキャリアデザインの相談を受ける)を提供してもう3年以上になります。

当初は予想に反してなかなか申込が少なく、心配もしましたが徐々にクライアントも増え始め、だいぶこのサービスも組織に定着してきたかなぁと嬉しく感じています。

昨日もサービス提供日でしたがなかなか良いセッションが多かった気がします。

その中で感じたことを二つ。

一、
とかく企業組織では、
「上司の話では筋の悪い仕事らしいので。。」「先輩のアドバイスでは今度の上司はろくな人じゃないらしいんです」「今、場を乱すような発言をすると評価で損するよ」
といった、仕事上の噂が多く飛び交うものですが、そういった他人の評価や噂を無条件に鵜呑みにする仕事人生は止めた方がいいですね。自分の目で見て、自分の頭で判断した方が良いと思います。

人の好みはや仕事の耐性は様々ですし、自分で物事を判断しない人生を長く過ごすと意志の力が弱くなってしまいますからね。案外、人の逃げまわるところに美味しいものが眠っているかもしれません。

ちなみに、前の会社では私が手を出す前は誰もキャリアの相談サービスを会社に導入しようとする人はおらず、「面倒くさそうな仕事」とスタッフ組織に思われていた案件だったそうです。

私はその仕事が無競争下でやれて幸せです。


二、
「自分が正しいと思うこと」「自分が興味を感じる話」「自分がわくわく感じる話」が普通に溢れている仕事の場にできるだけ身を置くことが望ましいなぁと思いました。
その人の考えが正しかったり、素敵な夢を持っていても、それが誰にも発信できない場所にいるとエネルギーもわかないし、研鑽意欲も下がりますからね。

その仕事場で普段どんな会話が自然になされているかを知ることが何気に大切なことかもしれません。
正義や公正さが語られず、顧客への愛も語られず、夢も語られず、愚痴や他者の非難がいっぱいの組織は長くいたくはないですよね(でもこういうのって、案外悪気なく無意識で行われているんですよね)

2010年10月11日月曜日

声が良く聞こえない時があった

この間実施した研修講師の事後アンケートを拝見する機会がありました。

(全ての研修において講師が事後アンケートの結果を知ることはできないのですが、今回の研修は私の元のお里である会社であったため機会を頂戴できます)

その中の一人のコメント欄に、今までお目にかかった事の無い文言を発見。

「声が良く聞こえない時があった」

初めての事だったのでこっそりショックを受けました。
(想定外だったのでインパクトが強く、、)

どちらかと言うと、自己認識では自分の声は通り易いと思ってました。
(実際にそう評価される事も多かったものですから)

ショックの後、よくよく考えて思いついた理由がありました。

それはその研修の定員が30名を超えたものだったということです。

自分が取り扱う事が多いテーマは、
受講者の意識や活性化に働きかけるものが多いので、ここ最近は
(最近の傾向的にも)30名未満の定員でやる機会が殆どでした。

アンケートに回答された方は記憶では正面の一番後ろに座っていました。

知らず知らずに声のボリュームを最適化していたのか、
元々自分の声の届く最適なエリア範囲が30名未満のものなのかは不明ですが、
自分の現状を知る上で大変参考になりました。

こういったものって、無意識化していてなかなか気づく機会がありませんからね。

本当に良い機会でした。

でも、正直言って、ネガティブな評価やコメントって反射的に反論したくなりますね。
自分の反射的な感情なのでしょうがない部分もありますが、
それをうまくマネジメントすることで
意味のある気づきや深い学習が促進できるんだよなぁ。。
(それこそがEmotional Intelligenceだという話)

自分の度量を試される修行でもあります。。

2010年10月10日日曜日

グローバル化を見る角度

ダイワ証券さんのCMでも取り上げられている、

Playing For Change(音楽を通して世界をつなぐプロジェクト)」

のエピソードに魅入られました。

「Don't Worry」



最近、経営者/経営幹部の方々とグローバル化を語る機会が多く、やはり日本企業ではグローバル化を危機と捉えていたり、心配の種という文脈で語られる事が多く、私自身もその様な思考で捉えがちになっていましたが、

世界が繋がるということは、暗い側面だけではなく、夢広がる明るい側面も同時に内包していることを忘れてはいけないと改めて思いました。

インターネットが気楽に使える様になったときに感じた世界と繋がるワクワク感、旅先の外国で家族とチャットをした時に感じた、距離を超えて家族と直ぐ近くで気持ちを交わした時の感動を忘れてはいけませんね。

一つだけの視点に囚われると不幸な気持ちが大きくなってしまいますからね。

2010年8月18日水曜日

久々なので盛り合わせ②

前回から引き続き、ここ最近のマイ気づきメモ(ipod touch)からの抜粋です。

■「管理と経営は別物」

神戸大学院教授の三品さんの本「経営戦略を問いなおす」を読んでいて出てきたものです。

「日本では管理をマスターした先に経営がわかる様になるという発想が根付いているが、実際は別物」との見解でしたが、たしかに私の知っている殆どの日本企業ではこの発想が人事のキャリアパスの根底にあるように思えます。

三品さんも書かれていましたが、私もこの考え方は良い経営者を作り出すことを阻害しているのではないかと感じます。
リーダーシップとマネジメントを同義の様に扱ったり、この先に経営が見えてくるといったようなごった煮の様な発想は捨てて、それぞれにきちんとフォーカスして能力開発を考えた方が良いと改めて思いました。

さらに付け加えて言えば、昨今では環境が複雑化しているせいか、管理すべき対象も複雑・膨大になってしまい、ミドルの管理者層(経営人材候補)がそれだけでパンクしてしまって、経営センスを磨くステップに行けなく(行かなく?)なってしまっているようにも感じます。

ちなみにこの本では、経営戦略は科学(人に拠らず再現性がある)でなくアート(人に拠り再現性がない)であるとも書いてありますが、趣旨と違いますが、私は説明を読んでアートな性格の仕事に心がひかれるなと感じました。

■センシング(現状を感じとる)とアジリティ(俊敏性)

この二つのキーワードが、ここ半年ほど非常に私のまわりで何度も顔を出しています。

センシングとは、ちょっと意訳しちゃうと、いま何が現場で起こっているのかを自分の思考フレームを外して、ひたすらありのままに感じることを指し、ここが疎かであると課題認識や判断で致命的な過ちを起こしてしまう感じがします。
組織変革や企業活動のパラダイムシフトに取組む際に最近では当たり前の様に出てくる言葉になりました。これだけでなく、センシングを強く意識することはそれ以外のあらゆる思考・行動でも重要だなぁと日に日に実感しているこの頃です。
(ちなみに質の高いセンシングを我々は驚くほどできていません(もちろん私もを含めます))

アジリティは直訳すると俊敏性と訳せます。この言葉、何年も前に米国出張で聞いたことがあり、その時は「まぁ大事と言えば大事だろう。俊敏であることはその逆より良さそうだわなぁ」といった程度にしか考えていませんでしたが、最近になって、急に

「パートナー会社の仲間からの米国ASTDカンファレンスの重要トピックとして紹介された」

「別のパートナー会社から、Emotional Intelligenceの向上のポイントとして言及された」

「たまたま知り合いになった外資系コーチング会社の重要コンセプトとしてこの言葉が取り上げられた」

と、これらの偶然が、関連しない3組織から1週間たたない間で指摘されたことはどう考えても「お空からの特別な知らせ」としか考えられないので今後も注視していこうと思います
(ポイントは感情・思考の切り替え力のようです)

■ラポール(コーチングで言うところの信頼形成)が深くなると学びも深くなる

コーチングやファシリテーションの実践の中から強く実感しているのですが、
相手とのラポールが本当に深い状態で形成されている時は、知的好奇心の純度もより高くなり、当然コミュニケーションの質も高いですから、非常に良い学習が起こります。

最近の自分の例なので説得力が弱いかもしれませんが、

コーチングを通して、クライアントの所属する業界業務への理解が短い期間で想定以上に深く出来上がっていることに自分でびっくりしている。

昨日、パートナー会社とのミーティングで、メンバーは内部社員、フリーランスという雑多な構成員だったにも関わらず(エグゼクティブコーチングや組織変革を仕事とするメンバーだったせいか)、質の良い一体感とともに深い組織学習が行われた確信を多くのメンバーが持った。

学習する組織を強く志向される方は、場のラポール度を強く意識されると良いと思います。

(まぁ、そうは言ってますが、ラポールは単に仲間意識が芽生えるといったレベルよりもさらに上方に存在するものなので、簡単ではありませんが。。)

■ハーバード白熱教室の再放送をみて

感動してしまいました(笑)。いい年のおっちゃんが、(正義を考えるということに関する)自分の価値観を大きく変えられてしまいました。考え抜かれた知性って素晴らしいですねぇ。

ちなみに、講義の中で紹介された言葉で、

「人間は本質的に物語を紡ぐ動物である。『私は何をするべきか』という問い答えるには、まず『どんな物語の中で自分の役を見つけられるのか』という問いに答えてからでないと答えることはできない」(マッキンタイア)

がありましたが、この発想はコーチングにおいても非常に重要な考え方だと思います。最近、強くここを意識しながらコーチングを実践しているので、妙に心にはまってしまいました。


それではこれにて!

2010年8月16日月曜日

久しぶりなので盛合わせで

本当に久しぶりのブログです。以前にもtwitterにはまるとブログ書く意欲が減退するとあちこちで書いていたのですが、どうやら私は衝動でものを書くタイプなのだということがはっきりしました。

最近では「いつでも好きな時に呟ける」と思ってしまうとtwitterにさえ呟く気も落ちるありさま。。
(抑圧された状態をエネルギーに変えて行動に起こすってことなのかしらん)

職業的なモノ書きさんになるのはどうも無理のようです。残念。

ブログには起こしていないのですが日々感じたことは愛用のipod touchには書き込んであるので、今日はそのメモを見て私的に鮮度が落ちていないものをいくつか挙げてみようと思います。


■ 「リーダー、またはプロが見つめている時間軸はどこ?」

クライアントの方とお話をしていた時、たまたま上がった問いが、

「@@のプロとして本来メインにフォーカスすべき時間軸はどのあたりが望ましいと思いますか?」

だったのですが、非常に面白い話を導いてくれました。

もちろん、このフォーカスする時間軸は状況において変化するのは言うまでもありませんが、「主に思考を費やすべき時間軸はどこなのか?」そして「それはなぜなのか?」という考察を日頃からどの様な深さでしているのかがわかったり、不明だったその人の様々な内的マップが見えてきます。

また、この問いへの回答がクライアントによって様々で本当に面白いです。
例えば
「腕の良いシステム開発系PMなら3ヶ月先。それ以下でもそれ以上でもないね」とか
「色々と考え、現実的理想的という邪念を排除して考えると1年先だと思います」等々。
その理由も非常に多様性があり知的好奇心を刺激されまくります。

皆さんもご自身で(深く!)考えてみたり、尊敬すべきメンターに聴いてみてはいかがでしょう?

但し、現実に飲み込まれて右往左往している人(経営者・マネージャー・労働者)に聴いても面白い回答は返ってこないのでご注意を(人物評価には使えるかも)

そういう人は「そんなのその時々の状況によって違うでしょ(もっと状況を特定してくださいよ)」とか「いやあ、普段あまり意識していないですねぇ」とか「それで何が分かるんですか?」といった応えが返ってくるだけですね。

ちなみに、コーチング的には、理想と現実の行動(首尾一貫性)とのギャップ感からヒントを得ていただくことを目的としたりします。(他にも色々使えますがね)


■場の賑わいと学習深度の関係

研修を含むファシリテーションをして実感が強まっているのですが、「場が(一見して)盛り上がっていることと、学びが深くなっていることは必ずしも直接的な関連があるわけではない」ということです。

独立したての頃は、両者に強い相関関係があると思っていたので、良い講師、良いファシリテーションのKPIを、「場のノリ」にしていたのですがその事が本質を外す恐れがあることを学びました。(以前のブログ(「研修アンケート」の話?)でも似た様なこと書きましたね)

正確に表現すると、学びを深めるために参加者の盛上がり(知的興奮)は重要だけれど、その現れ方は人によりけりで、必ずしもノリとして現れるとは限らないといったことなのかもしれません。

最近では、「場のノリ」「問いかけに対する間の間隔やボディシグナル(&その後の回答の深度)」「コンテンツ開始前と後の発言やボディシグナルの変化」「コンテンツ開始前に想定しておいた変容イメージとのギャップ」(もちろん成果物も)等の多様なポイントで状態を測るようになってきました。

まだまだ奥の深い世界です。


■グローバルは大事だけれど

ちなみにテーマはこう書いてありますが、グローバルを否定するものではありません。グローバル化はもう逃げれない域に来ているとひしひしと感じています。キャッチアップは重要必須でしょう。

正直、2,3ヶ月前からこのグローバル化というキーワードにやられ、色々と不安にもなり、職業的な見地からいったん外してあった、「グローバルな人材へのソリューション提供」もなんとかせねばなるまいかと悶々としたのですが、あることをきっかけにすっきりしました。

結論としては、自分がクライアントとするのは日本語、日本文化をベースとして生きてきた人のみとするというところに到達したのです(NLPを使ったパフォーマンス開発に関してはこの限りではないかもしれません)。

自分が自信を持って提供できる専門スキルは、日本語及びそれを文脈として意味づける日本文化と切ってもきれない関係(深く狭い領域で深堀したもの)なので、単に表層的に外国語をある程度通用するレベルに習得したとしても、その言語をメインに育ったクライアントが持つ深大な文脈を理解できなければ高い価値を提供できない恐れがあるからです。それでは本末転倒になってしまいます。当然この決断はリスク大ですが、日本人を強くすることにコミットとするという決断はある意味さわやかな気持ちにもなれます。

但し、グローバリゼーションへの対応必要性は深刻レベルに引き上げです。そこができなければ、自分の提供価値も下がるのは間違いありませんから。

今日はひとまずこんなところで。

2010年5月10日月曜日

Twitterをやって感じたこと

Twitterを始めたのは前にも書きましたが、最近それは自分の中で割合をどんどん大きくしています。

ちょっと変な書き方をしていると思うのですが、
それは没頭してのめり込んでいるというとちょっとニュアンスが違っていて、

熱狂しているわけではないのだけれど常に意識せずにはいられない状態というのが正しい表現の様な気がします。(結局GWにおいて、ヒマな時間の多くがtwitterに注がれた感があります。。ブログも全然更新できていないし。。)

これは良い点と悪い点を含んでいて、

良い点としては、

今までとは比較にならない情報とアクセスできている感があるのと、
その情の精度が案外高いというのが今感じていることです。

加えて言うと、同じ業界で、なかなかナイスな考えを持ってやっている連中と無理なくつながることができる点もすごい魅力です。これは自分がフリーランスになって何年も実現できなかったことです。
(でもtwitterで数日で出来ちゃいました。。)

また、Twitterって奴は面白いもんで、たかだか140文字の表現しかできないのですが、その人らしさがかなり明らかになる性格を持っています(また、そういう所が繋がる上で大事だったりする。そのせいか実名出している人がすごく多い)。ですから、異業種交流会等のリアルの場で1,2度軽く話した程度の人たちだったら断然twitter側の方が自分としては信頼できちゃったりします。(もちろん、リアルで深く繋がった人の方が比較にならない位に上ですが)

悪い点で一番気になるのは、

ちょうど共感するブログを見つけたのでそこから引用させて頂くと、
(悪い点と言いながらその引用ブログもtwitterで見つけたものだったりするが。。)

Twitterは最も(厄介に)継続的な注意散漫状態を作り出すものである」ということ。
http://anond.hatelabo.jp/keyword/Kathy%20Sierra の論点3です)

常に色々な文脈で脳に軽い刺激を与えられるので、かつ、それが脳へのある種のインセンティブになっているので、それを打ち切って、一つの事に没頭するのを妨げてしまうおそれがある様に思えます。

引用するブログ的には、それゆえ、twitterにはまるとフローに入りにくくなるのでエキスパートになれなくなるかもといった感想が述べられています。
この意見には完全な同意をするわけではありませんが、特に若手の発達中のキャリア段階には少し使い方を用心した方がいいかもしれないとは思えます。フローってやつはコンテキストがコロコロ変わる状況では発現できないですからね(ゾーンも同じかな)。
(当然自制を持ってコントロールできるならばその限りではないでしょう)

でも、こういったサービスがどんどんと加速度的に沸き起こってくる時代です。我々が気がつかない様な全く違うスタイルの成長・発達・学習パターンが生まれてくるかもしれませんがね。

自分の専門に通じた人(NLP的に言うと良質なアンカーで自分をプログラミングしている人)には理想的なツールとも言えるかもしれません。上述したように色々な角度で刺激がきますから、その刺激から思いついたアイデアと自分の熟達した専門をコラボレートすれば結構面白いことができるんじゃないかと思えます。


日本におけるTwitterも最近は「著名人のつぶやき覗き見」的意味合いから、色々な目的にどんどん活用されはじめている感じがあります。(「商品及び自身のマーケティングツール」とか「ネットワーカーの強力サポートツール」等々)
まだやっていない方は一度体験されてはいかがでしょう?

但し、自制心の低い人は気をつけて下さいね。
友達と旅行した時に、眠いんだけど寝ちゃったら何か良いことを見逃してしまうのではないかと、眠る決断ができず意識朦朧で半分白目になりながら粘ってた人はやらない方が良いかもです(そりゃ私だよー!)

書いてみたものの、まだまだ捉えきれていない様な気もするなぁ。。

2010年4月19日月曜日

セカンドセルフ

ひっさびさのブログです。

この間、ヒューマンバリュー社の高間邦男さんが書いた、

あなたの中の変えるチカラ」を読んでいて、

『セカンドセルフ』というキーワードをゲットしました。

これは、自分の中で今まで言動を支配していたメインの人格ではなく、
今まであまり表に出なかった人格のものの様なものを指していて、

人は何か思考や言動を変えたいと考えた時は、
メインの人格を改善するようなアプローチでは駄目で、
何か自分の中の別の人格を
新たに起動するようなアプローチでないとなかなかうまくいかない。
といった説明で使われていました。

また、そこで出てきた例で分かりやすいものがあって、

「女性に赤ちゃんができた場合、それをきっかけとして、「子供にとってよかれ」という想いや、「子どもが立派な人に成長しますように」という想いが生まれる。それがセカンドセルフである。そうすると、エゴにある「ゆっくり眠りたい」という欲求や「自由に好きなことをやっていたい」」
という欲求を超えて、母親らしい思い方や行動をとるようになる。」

と書いてあって、

これを読んで、「うわっ、これ、俺ら夫婦のことだわ。わかるー、この感覚」と思ってしまいました。
(間違いなく我々夫婦は子どもが生まれる前と生まれた後では言動違います(笑))

そして、この『セカンドセルフ』というキーワードですが、
妙に私の思考と相性が良くてこのところ頻繁にこの言葉を使うようになりました。

コーチングをしていて思うのですが、
人が変わるのって本当に簡単なことではなくて、そうそううまくいくもんではありません。
(難しくてもそれをすんのがおまえらの商売だろっと突っ込まないでくださいまし)

本当に変わるためには、

「今までの自分ではなくて、違う自分に生まれ変わる位じゃなくちゃ!」

と思うくらいで取り組んだ方がうまくいくかなと感じますし、
最近の自分の仕事(コーチ、講師、等々)ではこの感覚でクライアントに対しています。

そもそも今までの環境で長い時間をかけて
(自分なりの)最適化行動を繰り返し安定したのが今のメイン人格ですから、
その世界観の中で変化を起こそうとしても、当然制御機能が無意識に働き、
元の安定状態に戻そうとするのではないかと思います。

愚痴は言うけど、結局はできない理由を並べて自分を正当化するプロセスなんていうのもこれかもしれませんね。

みなさんもどうですかね。セカンドセルフを起動していますか?

私なんかは昔の友人と再会すると、「別人に感じるよ」とよく言われます。

いやそれは髪のせいか。。

2010年3月29日月曜日

嘘に関する学習

最近、2歳半になる娘は嘘をつけるようになってきました。
(正確には「事実と異なることを発言する」)

「なんとなくそっちの方が自分の気持が伝わりそうだから」、
「その場の流れで言いやすいから」、
「記憶にあるパーツを組み合わせたらそうなったから」
「そう信じているから」

と罪な感じがしないけど、事実とは違うことをしゃべります。

これはこれで、私にとっては彼女の成長と考えているので
むしろ喜ばしいことと捉えています。

それ以前は、

「わからない」
「知っている断片の事実の説明」
「意味不明の反応」(←こちらのコンタクトに応えるという意志の表明だけ)

しかできなかったわけですからね。

なんとなくストーリーぽいものが返ってくるだけ楽しいもんです。
(コミュニケーションの高度化以外のなにもんでもない)

でもこの後の彼女の学習はどうなっていくんでしょうね。

まっとうなら「嘘をついてはいけない」という学習を今後していくんでしょうけど、
それって案外微妙じゃないですか?

固いしつけをくらって、「嘘をつけない」ことで苦しんだりトラブる人います。

これが真実だと信じ込んで、でも事実と異なることを強烈に発信して人を傷つける人もいます。

嘘と真実って、大人の世界でも表裏一体・曖昧なものですよね。

彼女には、「嘘」と「真実」の絶妙な距離感を学んでいって欲しいなと思います。

2010年3月15日月曜日

twitter的つぶやきのログ


ここ数年、自分は頭に浮かんだアイデアを手帳やipod touchに記録するように癖がついてます。

というわけで、ちょっとそんな気分になったので

ipod touchに書き込んだメモを加工せずにここに載せてしまおうと思いました。

何らかのシンクロが読んだ人に起こると面白いなぁ。。

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・ビビるヒマが有ったら状況をみつめる方が重要

・最高点を平均点と考える思考が最上思考か

・暫定のゴールを実現したら上方にずらす

・物理空間の夢の実現には限界があるが情報空間にはない。混同してはいけない

・ビジョン達成は現在からの積上方式ではなく、コアステートの先取り後らの逆線表式で考えるのが有効か?

リーダーとしてありたい姿をコアトランスフォーメーションアプローチで抽出する

・怒りの背後にあるものは何だろうか?怒りは二次的感情の時がある

・強く非難する対象は自分の中に有って忌み嫌っているもの?本当か?

・流れ行く思考

・計画された偶然 つながりを意識する

・娘の特徴 log book

・成長パターンの確認

・気づきは行動のための仮説出し

・経営者は考える時間が細切れ

・ブランデン質問法

・自分の付加価値
グッドエナジー
様々な視点 可能性 リソース繋ぎ

・経営者は時間とテーマは他人が持ち込む
 自分のテーマを考える時間なし

・本来の能力を発揮すると同時に、今までの枠を更に拡げるアプローチも必要だろう

・クライアントの変化を敏感に表層化させる

・組織への波及をどうしていく?

組織におけるシステムシンキングと経営層であるクライアントの活性化実現

アスリートコーチングと違い企業人コーチングは可変環境におけるシステム対応が必須な分難しい所がある

・グループコーチングの可能性

・経営幹部の移行現象

・自分はクライアントにどの様な行動思考変化をもたらせたのか?

・自分はソーシャルキャピタルが乏しくないか

・否定されるのではないかという恐れ後遺症

・暫しミーティングの中に文化の縮図が出来上がる

・クラウドリーダーシップ

・アクションプランの次善策の次善策がほんもの?

******************************

2010年3月14日日曜日

女性ワークショップで


先週は以前にもやった女性ワークショップのファシリテーターをやりました。


相変わらずのアウェー感で、幾分、落ち着かない気持ちになっちゃいました。

(なぜか他の人にはそう見えないらしいんですが。。)


でもその中で面白いなと感じたことがありました。


壁に張り出された受講した彼女達の悩みを、

(若手の女性社員によく出るライフイベントにまつわる悩みが一杯でした)


ゲスト参加してくれていた女性先輩社員(ワーキングマザー)と並んでみていたのですが、


「こういう悩み、私も若い時は色々持ってたんですよねぇ。。
でも、その悩みの、何が、どのタイミングで、どんな風に来るかは
来てみないとわからないんですよね。。」と彼女。さらに、

「結局、来た時に、その時の環境に合わせて
臨機応変に全力尽くすしかやり様がないんですよね」

と呟いていました。


この彼女のセリフ、子育て後復帰した私の相棒を見ていてもそう感じます。

今までになかった状況対応力の発達(それと時間当たりの生産性)が顕著に感じられます。

そしてそれこそが、色々なことを乗り切っていくために最も必要なことだとも思います。


他にも、私が今までに会ったことのある、
いい感じのワーキングマザーは皆この部分が特に発達していたと記憶しています。
(彼女たちは『腹の座った』感が滲み出てきます)


でも、これは興味深いです。

状況対応力の凄さは、修羅場をくぐって能力を顕在化させた、

男性社員(もちろん女性も同じ)も同様に発達しているからです。


男性では考えもなかなか及びませんが、子育てをしながら働くということも立派に

「キャリアで一皮むける重要イベント」と考えていいのだろうなと思いました。


「確かに、『その場その場でいかに臨機応変に対応するかが鍵』という事は真理だと思いますが、
それを体験する前の若い女性達に、『だから事前にクヨクヨしてても意味は無い』と言っても
心はすっきりしないでしょうねぇ。。」と僕。


「そうですねぇ、だから、そのいざって時に
腹を割って相談できる人が側にいるってことも重要なんだと思いますね」と彼女。



『つながっている』って奴もキャリアに重要な要素ですよねぇ。。
キャリアデザインの渋いエッセンスを、何気なく非専門家に言われると、
「この人、格好いいなぁ」

と素直に思ってしまいます(笑)


2010年3月8日月曜日

研修アンケート

フリーとして研修講師の仕事を始めて今年で4年目だが3年目からやらなくなったことがあります。


それは、研修アンケートでクラス単位の研修満足度で満点を狙わなくなったことです。


正直、独立してから暫くアンケートの点には相当こだわりました。


フリーランスの講師にはアンケートの点数は死活問題になるからなんです。


いくら企業の発注主が


「うちは研修満足度はこだわりません。参加者に本当に意味のあるものが伝えられ、行動に変化が起こるのであれば。。」


と言ったとしても信用はできません。結果的にそうじゃない例を山のように見てきました。


自分のコンプレックスも点数にこだわる原因の一つだったでしょう。


「大丈夫だ。俺は十分に通用するんだ」

なんて自分にささやいたって、安心なんかはできません。


アンケートの点数が良かった時にだけ「ほっ」とする自分もいたわけです。


しかし、講師業を数年やってみるとわかってきたことがある。


『研修満足度は高いにこしたことはない。でも満点を狙うことはなんか本質と違うかもしれない』


クラス全体の研修満足度に影響を与えるのは講師のサービス力であって、参加者を変えるための力ではないと感じてきました。


例えば、サービス力に入るのは、「場の高揚演出」「すっきり感」「個々の参加者のかゆい所に手が届く感」「フレンドリー感・味方感」「教室の環境整備」「笑わせる」等々だったりします。部屋の湿度・温度やトイレ・昼食時間のキープが満足感に案外大きな影響を与えているようです。


もちろん、研修の満足度等を上げる事は悪いことではないとも思います。参加者の行動変容には、ある程度の高揚感や満足感は重要だと考えるからです。


でも、ある一定の満足度を超えた、さらなる上の満足度を狙うことは、本質と違うご機嫌伺いの体になっていく気がしてしょうがありません。(そのことは、満点を狙ってギラギラ頑張って満点が取れた時にはっきりと感じました)


そのことを感じてしまってからは、本質からずれたところにエネルギーをかけることに興味がなくなってしまったのです。


そして、サービス力をフル発揮して満足度で満点を狙うより、参加者にとって本質的に意味のあることにのみフォーカスする様になってからわかったことがあります。


後者のアプローチでも、満足度はけっこう高止まりするもんだということです。


もちろん、このアプローチでは満点は出ません(25名を超える規模では未経験)。

でも、手ごたえはこちらの方がありますし、なにより


「自分は正しいことができている」


という感覚がぶれずにあるため、精神が健康な感じがします。


2010年2月24日水曜日

ある会社のミドルリーダーの言ったこと



この間、ある会社で部下育成意識の高い管理職数人と人事部の方とともに意見交換をしました。

昨今は、チームの業績、プロジェクトの管理、部下の評価、一人のプレイヤーとしてのパフォーマンス、膨大な事務処理(やらなければいけないと誰かに抱かされた仕事)、(+この経済局面の打開も?)等々の役割をしょわされ、そして育成責任と、アンフェアと言ってもしょうがない位きつい状況にあるミドルリーダーの方々ですが、

さすが、育成に意識の高い方々だけあって、なかなか良い情報の交換ができました。

その中でも、あるリーダーが最後にいった一言が、頭にずーっと残っています。

「意識の低い奴(ミドルリーダー)には、育成をさせて欲しくないんです。」

ともすると、最近のミドルリーダーにとって育成はやっかいなノルマとして感じられている事も多いんで、この発言にはしびれました。


今、企業組織に限らず部下の育成に関する意識や行動には本当にばらつきがあり、それにより部下の育ち方のばらつきもすごいことになっています。

(ちなみに成長を支援してもらう方の責任はここでは置いておきますね。)


部下の成長支援を本気でやっている人なら、この発言に深く同意できると思います。

本気でサポートしていた部下が、あるタイミングで、ぐっと成長して、面構えが精悍なものになる(女性で精悍っていうのもなんだな。。「充実感と自信に溢れた表情」の方がいいかも(笑))、そういった瞬間に立ち会える喜びって最高ですよね。

大変だけど意義の深い仕事じゃないかと思います。

こんな発言ができるその人も、人として良い成熟段階に入っているんでしょうね。


2010年2月22日月曜日

演奏家のゾーン


いつかは、これを柱の一つにしようと目論んで、コツコツ一人で自主研究を進めている「ゾーン」について、先週の研修講師中に受講者に一部を紹介したところ、予想外に盛り上がった。


「ゾーン」っていうのは、簡単に言うと、人が自分が想定できる以上の優れたパフォーマンスを発揮する状態のことを指す。「ピークパフォーマンス」とか「フロー」と言った言葉もその仲間にあたる。


この言葉は、主にアスリートのパフォーマンスを紹介する際に用いられるので、自分もどちらかと言うとアスリートの状態を中心に色々とネタを集めていたのだが、どうやら、演奏家の間でも結構ありそうな現象らしい。


先の研修クラスでもクラッシク音楽の演奏経験者が何人も興味津々で追加の話を聞きに来てくれた。


どうやら、自分が説明した「ゾーン」時の特徴的な心身状態が、演奏時において良く起こるものらしい。


「エッケイさんが説明した状態は、まさに演奏家が調子のよい時にどうなるかと言う際の説明とかなり似ていますよ」と教えてもらった。


事例もいくつか収集できたがなかなか面白いものがあった。


「主旋律以外の音がクローズアップされてくる」


「混ざり合った音がパート毎にバラバラに、明確に認知できる様になってくる」


「自分に関係のある音は明確に感じ取れるが、それ以外の雑音は一切聞こえてこない」


「目は指揮者を見ているが、オケのメンバーの動きや息遣いなどをはっきり体感できる」


等々


うーむ。素晴らしい。。まさにゾーンの特徴と合致している。


今まで主にアスリートからネタを収集していたのだが、調査対象として演奏家を多く組み込むと良さそうだ。ゾーンの感覚がわかるアスリートよりゾーンの感覚を知っている演奏家の方が割合が多そうな感じだ。


まさか、企業の研修でこんな良いヒントを得られると思わなかった。


(でも知的好奇心の高い連中との会話は本当に面白いねぇ。。みんな目キラキラして会話を楽しんでたよ。ああこんな会話で人生を溢れさせたいもんだ)


いずれはこれをビジネスに応用できる様に、ソリューション化なりコーチング技法なりに落とし込みたいんだよなぁ。手が届く距離にきている気がするんだよなぁ。


2010年2月14日日曜日

キャリアのスタンス


この間、ある会社の幹部の方と話をしていた時でした。


(その方、かなりいい仕事人と思われ、毎回ナイスな発言をされるので楽しみにしています)


その時に面白かったのは、私が、その方に、


「ご自身がキャリアを歩んできて、良いキャリアを築くコツって何だと思いますか?」


と質問したところ、その方は、暫し頭を張り巡らしてから、こうおっしゃいました。


「うーん。そうだねぇ。考え抜くことと、自分が仕事する上での判断軸をぶらさないことかな」

(↑多少言葉をいじってます)


これは、キャリアデザインでは、王道な言葉なのですが、なんせ理屈だけでなく実践を通してそういう生き方を体現してきた方ですから、これ幸いと追加質問をさせていただきました。


「その拠って立つ仕事の軸っていつ位にできましたか?まさか入社時から持ってたってことは無いですよねぇ?」


「はは、そんな立派なもんじゃないですよ。うーん。そうだなぁ。入社して10年位はかかった気がするなぁ。それも単に自分で考えついたわけでもなくて、仕事を通したり、お客さんや上司先輩の生き様に触れたりして徐々に出来上がった気がしますね」


かなり自分も共感しました。


通常、キャリアデザインでは、その人が持っている、「動機要因(活性化ポイント)」・「能力」・「価値感/信条(軸・スタンス)」の3つのポイントをヒントにして考えていきます。
ただ、この3つのポイントは、あんまりよろしくない本や研修では「この3つは重要」とか「この3つでプランニングしていきましょう」と平坦に唱えられるだけですが、案外、くせ者で、人の個性や成熟段階、キャリアの節目等によって、つけるべきフォーカスポイントだったりメリハリがかなり違います。そしてそれを考慮しないと良いキャリアデザインにならないことが多いです。


そういう事で、この「スタンス」というやつ、キャリアにかなり重要なのですが、何気に扱いが難しいものだったりします。


時間がかかるんですよね。その人の中で確立するのは。。(ちなみに、一生確立しない人もいます。ゆがんだスタンスに陥る人も山のようにいます)


そして、実際の仕事を通してしか獲得できないです。(だから、学生向けのキャリアワークショップではこの部分について変な問い方をしない方が正解だと思います。いいバイトやいいインターンした人はよいものを持ってたりしますが)


さらにさらに、ただ単に確立すれば良いかっていうとそうでもなく、タイミングタイミングでちゃんと作って、そして今度はそれを壊して再構築して新しい良いものにしていくって性格なんです。


上のほうで出てきた方の時間感覚ではこの確立に10年位かかったとの事です。

全ての人が10年かかるかそれ以上になるかはわかりませんが、

「キャリアのスタンス」は時間をかけて確立されるものなのだと考えていくのがポイントでしょう。


今、自分のキャリアの方向に答えが出なくて悶々している若手社員の方々に紹介しておきたい話だなぁと思いました。


2010年2月8日月曜日

課長


なんのことかわからん題名ですね(笑)

自分としてもどんな題にしたら良いか思いつきませんでした。


私は入社した際、会社組織や当時の仕事文化に溶け込むことが出来ず、相当苦労した経験があります。(いわゆるエントリーショックっていう節目をうまくクリアできなかったわけです)


その際にその最も象徴的な存在だったのが当時の課長でした。


その課長は仕事と肉と酒が大好きな人でした。


私は慣れない文化、ハードな労働環境、SEというキャッチアップしにくい仕事でめちゃくちゃにイライラしていましたから、よくその課長にケンカをふっかけておりました。


「課長、なんすかこの職場は?こんなひどい職場は聞いたことも無いです。おかしいんじゃないんですか?」


「んー、そうか?俺は仕事好きだぜ。」


「俺はこんな仕事ありえないと思いますね。みんな不幸じゃないですか」


「いや、俺はおまえを認めてないしさ。そんな奴の話を聞く気になれないね」


「。。(ぎりぎり)」


と言うような会話が飲み屋で繰り返されていましたっけ。


そんな課長は私が入社した年度の末に職場で倒れてお亡くなりになりました。


この事件は私の仕事観に大変大きな影響を与えました。


「当時の悪の象徴の様な存在が自分が好きだと言っていた仕事に殺された。」


強烈なブラックジョークとして私の中では解釈づけられました。

その他にも、ここでは語れないようなキャリアのブラックな側面に関する見解が私の辞書に大量に書き込まれました。

それは長い間、私と仕事の関係性に大きな影を落としていました。


幸いにも、その後にいい仕事やいい仕事仲間にめぐり合い、自分のキャリア観も成熟して、仕事との関係は徐々に回復していくことができました。


でもあの課長の存在は自分にとって反面教師として残り続けました。ついこの間までは。。


最近、彼と言う存在の定義が自分の中で微妙な揺らぎを生んでいます。



当時は、未熟なキャリア観で彼を断定的に評価していましたが、

少なくとも彼は「仕事が楽しい」と言い切っていました。


これだけ仕事人生を生きてくると、「仕事が楽しい」と断言する40過ぎの大組織のサラリーマンはそんなに多くいない事くらいわかってきます。


そういう人に、いまの私が何の先入観を持たずにお会いしていたら、非常にほほえましく感じていたでしょうし、「その年でそこまで断言させる仕事の魅力って何なんですか?」とチャンスがあればお聞きするのは間違いないでしょう。


当時の先輩は飲みながら、「あの人、あれはあれでいいところもあったし、それなりに魅力もあったんだぜ」とやさしく諭してくれもします。



この間、シャワーを浴びていたら、突然、


「そもそも、1年も付き合わなかった大嫌いだった人を自分はなぜこんなにも長い間自分の心に残しているんだろう?これって意味の深いことなのかもしれない」


と頭に浮かんできました。


彼がお亡くなりになった年に自分がもうまもなく到達しようとしています。

2010年2月1日月曜日

四年目突入!


気がついたら、独立して4年目に突入をしておりました。


この3年、無事におくることが出来ました。


色々な形で良いお付き合いをさせていただいた方に本当に感謝です。


キャリアデザインでは、自分のキャリアを考える際に、


人とのつながり方にフォーカスをするとその人の個性がよく見えるので、


それをヒントに考えると良いと言われていますが、


本当に人とのつながりが意味することは大きいと、この3年は痛切に実感することが多かったです。


これからも、本質的な価値を提供できるようにがんばります!



さて、今年の抱負を語っていませんでしたが、


といっても、抱負とまで言えるほど構えて考える気になれない自分がおりますので、


今年の向いたい方向性を少し挙げておきます。

4年目はこの2点でがんばりたいと思います。


①満足度追求からクライアントの行動変容にこだわりたい


この3年は、なんやかんや言っても、プレッシャーがかかっていたせいでしょうか。

どうしても研修やファシリテーション等の満足度にこだわってしまう自分がいました。


ただ、最近どうしても気になってしまうのは、


「自分の提供したものによって、その人は、一過性の満足や刺激ではなく、本当に満足のいく人生に向って一歩動き出しているんだろうか」


ということなのです。


この3年の学びからの私見では、


クライアントの満足度を上げるのはテクニックで可能。それにクライアントの行動変容によい影響を与える可能性もある。でも「過度な満足感だけの追求はかえって本質的な価値提供を劣化させる」気がしてならないです。


一回きりのソリューション、コーチングと言ってもたかだか数回のセッションで、クライアントの持続的な行動に何かをもたらしたいというのはある意味不遜で無謀とも考えられますが、できればそこを強く意識していきたいと強く思っています。


②非利き手の研鑽ではなく、得意技を磨き上げる方向でがんばる


昨年はあえて、利き手と違う仕事やスキル研鑽にいそしみ、本当に疲弊したので、今年は自分の得意技を極めていく方向で取組んでいこうと思います。エッジ利かせた人生でいきたいですねぇ。


③経験値をソリューションという形でまとめておきたい


ここまでこだわってやってきたものを自分なりのソリューションとして明確な形にしておきたいという衝動が強くなりましたので、できればここにもチャレンジしていきたいと思ってます!結構ユニークなものができるのではないかと自分に期待してみます。


という感じでしょうか。


変にプレッシャーにまみれたがんばりではなく、


「遊ぶように楽しみながら仕事していきたい」と思います。


本当の遊びはまじめに真剣だからこそ面白くなるもんですからね。


感覚のどこが一番鋭敏?



仕事の同僚と雑談をしていた時に、

たまたま、双方NLP経験者だったためか、

「五感のどこが鋭敏か?」 という話になった。

たまたま、その同僚の嗅覚が鋭いと感じることがあったので、
そのことを同僚にふって、話をしていたら、その同僚、

海の匂いを何種類も別な感覚として分けて記憶に留めているらしい。

正直、自分にはその発想は全く無かったのでかなりびっくりした。


自分はせいぜい潮臭いと感じる海と、あまり臭わない海しか感覚的に区別がなかった。
イヌイットは雪の色の表現に何種類もボキャブラリーを持っていると聞いたこともある。
世界中で比較すると虹の色の数も違うらしい。

人は他人も同じ映像、音、体感、臭い、味覚をしていると思い込みがちだが結構違いは大きい様な気がする。

話は戻るが、同僚の話を聴きながら、
さて自分は一体、どの感覚が人と比較して鋭敏と言えるだろうか?と思った。

聴覚は正直弱い。

体感覚は。。普通かな。。

嗅覚はまずまずだが匂いに敏感な方にはかなわない。。
(知り合いのすごい人はエレベーターの残り香で特定の人が何時間前にいたか当てられるからね)
味覚はうるさいと言われることは良くあるが、利き酒、香辛料当て、天然モノ当てといった類の勝負にはおっかなくて乗れない。

視覚が強いが、ビジュアルに鋭敏かと問われれば「YES!」とは言い切れない。せいぜい軽くこだわる程度。


さて困った。自慢の五感が一個も無い。

考え考えてひねり出したのが、「言語」。これにはかなり敏感だと思う。ちょっと自信はある。
そもそもこんな商売をしていることからしてそうかもしれない。

同僚にあれこれと例を出して説明すると「そんなのは俺は全然意識しないなぁ」と言われた。
でも、さて、これは五感と言えるのだろうか?


聴覚?いや音には弱い。リズムタップでの出来の悪さを考えると聴覚が鋭敏とは言えない。

でも、まぁ五感と言えども感じる場所は脳なわけだから、入力器官じゃなくても五感と言ってもいいかもね。

なーにが言いたかったんだろうね。自分は。。


感覚に関する感覚の重要性って感じでしょうかね。。


うーむ。言語に鋭敏とも言えないか(笑)


2010年1月24日日曜日

人はストックかフローか

何年か前から【人材】の代わりに【人財】という言葉が使われる様になりました。

私の記憶では、「【人材】は人を材料と同じ扱いにしていて失礼な話だ。会社において社員は宝だ。だから【人財】という風に言うべきだ」という論調だったと思います。

でもこの【人財】という言葉、私にはピンときません。

「言葉変えたからなんなの?」という想いがどうしてもぬぐえない。

考え方によっては、言霊を変えることにより変質が始まるという理屈ができなくもないでしょうが、人財という言葉が使われて何年も経とうとしていますが、人材に関して大きく何かが(プラスに)変わっている感覚は私にはありません。

皆さんはいかがでしょうかね?

【人財】について、私のこの業界における師匠がこんなことを言っていました。

「【財】って言葉はストック的な(動かない)資産を意味するんだよ。でも人って違うよな?むしろフロー的な(常に動いている)価値に近いんじゃないかな?人を【人財】って呼んじゃっていいのかな?お宝然として動かなくなってふんぞり返っちゃうんじゃないか?(笑)」

この意見を聞いて私もずいぶん賛同を覚えましたっけ。

と、なぜいきなりこんな話を思い出したかというと、

今日、スペインリーグのFCバルセロナの試合を見ていた時です。バルサの選手は世界のトッププレイヤー達ですが、これが奢らず良く動く。自分が持っているポテンシャルをフルに発揮しようとしている。またそういう自分達を誇っているかの様に振舞っていました。
「うーむ、この連中はフロー人材だわ。こいつらは現状に留まっておらず常に自分の価値を高めているなぁ」
と感じいってしまいました。

これと対照的だと思ったのが、
当時、銀河系軍団と言われた頃のレアルマドリードや、巨人の前の世代です。金で有名選手を買うはいいが、これが機能しないしない。余裕な感じで落ち着きすぎちゃってて、彼らのプレイに躍動感は感じませんでしたっけ。サポーターも当初は、彼らがそこにいるだけで満足していました。
まさに、デンと鎮座している【おたから】だったのだと思います。

今の時代は、価値在るものこそ動いていないと駄目なんじゃないですかね?特に人はね。

不動の財はあっという間にその価値を下げて失って行く様な気がします。

皆さんの会社はどうですかね?昔とった杵柄や開花させない潜在能力だけが人財のウリになっちゃってませんかね?


そうそう、そういえば、関係ないですが、うちの【NTT電話加入権ちゃん】もえらいことになっちゃってるのを改めて思い出しました。。

2010年1月18日月曜日

言語化の意味

最近、人の認知に関する本を読んでいるのだが、言語化の考え方を一つ手に入れた。

「言語化とは、人の思考にインデックス(索引)を作ること」

常に無数の思考が流れては消える心の中だ、
そこに索引があれば同じものを取り出すことも容易になるだろう。
だから言語化は大事っていう話も言えるかな。
また、その言葉を気に入って何回も繰り返して使えば道も太くなるだろうから、
スムーズに使いこなせるようになるだろう。これを持論と呼ぶのだろうな。
また、別なことも考えた。

言語化がある人の思考をコード化(≒表現)したものならば、
他人が使う言葉(キーワード)を誰かが用いたとしても全く同じ意味を持っているとは限らないだろう。
(例を出すとしたら、「そんなの常識だろ!」って感じか。常識って実は人によって全く違うしね)

これが、キーワードの一人歩きを生むんだろうなぁ。
一つのキーワードを多様な解釈で用いているのにも関わらず、皆が互いに理解を共有していると勘違いしているケースによくぶつかる。

自分も偉そうなことは言えない。世間で流れているキーワードをたいして調べもしないで勝手に自分の知識とくっつけて偉そうな講釈をたれてしまっているかもしれない。
気をつけないとな。

そう考えるとコミュニケーションは難しくもなるよね。

追伸:
twitterhttp://twitter.com/ekkeion)始めるとブログの短いやつはそっちで片がついてしまって更新がより空いちゃいますねぇ。。

2010年1月11日月曜日

純粋なエネルギーと他者貢献性


ある企業の幹部向けのコーチングの際、クライアントが思い入れを持ってやろうとしているある企画に関して、


「ちなみに@@さんのその企画推進に邪魔入れようとする輩はいないんですか?」


と問うてみた。(さすがに企業幹部とかだと政敵みたいな、何でも否定する相手はいないのかな?と思って)


クライアントは一瞬間をおいて(一応、頭を張り巡らしたのでしょう)


「いや、この企画は、純粋に会社に必要だと思う気持ちからだし、自分の利得や政治的な思惑に基づいたものじゃいないから変なちゃちゃは入らないと思うよ。それに放っておいたら誰も面倒くさがってやらない仕事だからね」


とのことだった。


その話を聞いて妙に心に刺さってしまった。


自分が会社をやめる寸前にやっていた企画もそんな感じだった。

この企画は会社(というか社員)に絶対必要だと思ったし、それを実現したいと心から願った仕事だった。それに、お恥ずかしながら、自分で手を上げて会社全体に適用するサービスを提案したのは初めてのことだった。


そのサービスは会社に必要だと厳密に・客観的に断定できるほどのエビデンスは無かったが、結果的に役職上下関係なく多くの賛同者が現れ、その実現のために自分を助けてくれた。


自分は大きな組織・規模で、かつ、「行動力よりも論理客観性が重視される(石橋ぶったたいて渡る前にぶっ壊すという意味ね)」会社の育ちのせいか、組織において個人の想い的な企画を出しても、きっと、よってたかって「出る杭は打たれる」のだろうと思い込んでいる節があったので、その企画が会社の制度として認められた時に、


「なんだ、出る杭って打たれないじゃん」(そりゃ微妙な抵抗勢力は存在していたけど)


と意外に感じた記憶がある。


フリーになり、色々な会社の話を聞くようになると、この手の話って案外多いってことがわかるようになった。


「発案者が強い情熱を持って企画実現に取組めば」、そして、「その企画が他者のためになるのものである」ならば、案外、周囲は邪魔しないものだ。


そして、絶対正解の無いこの時代、会社組織(社会性を持った組織)には、そういう風に言い出す人を待っている仕事や企画は無数に存在しているような気がする。(おまけに、そういう仕事は、想い入れの無い人からすると面倒くさくてうんざりするノルマ作業にしか見えてないケースが多い。当然、命令を受けなければ誰も手を出さない)



でも、強い「想い入れ」って奴は、その人の内発的動機から来るものだから、自分が「仕事に何を求めているのか」「どんな(風に)仕事をすることが自分の純粋なエネルギーを発現することにつながるのか」をきちんと見つめることが必要になるのかもしれない。でも多くの人はここが見極められていない。


けっこう簡単な話じゃ無いのかもな。でも、多くの人にそんな仕事への想いを見出してもらいたいなぁ。そんな風に仕事をすることは、自分だけでなく周りの人も幸せにすると思う。


(なんかうまく言語化できなかったな。。)