傘を干そうと広げてみたら、骨が曲がっていたので修理しました。
(安い折りたたみ傘ですが、自分はものを簡単に捨てられないタイプです)
骨にペンチを当てていたら、急にあるおじいさんの顔が鮮やかに浮かんできました。
私が子供の頃(幼稚園~小学生)、そのおじいさんは近所を旧いリヤカーひいて、
包丁研ぎや色々な家庭用小物の修理をして生計を立てていた様です。
黒いめがねをかけ夏は白いランニングシャツで腰に使い古された手ぬぐいをぶら下げていましたっけ。
彼は当時70を越えていたでしょうし、どちらかというと小柄で痩せ型の男性でしたが、
受ける印象は力強い感じでした。気力的なものがそう感じさせたのかもしれません。
私の母が彼を気に入っていて仕事を頼む関係か、
よく私の家の道路の前にござをひいて座り込んで包丁を研いでました。
私は当時(今も?)人見知りでしたし、
新興住宅街に現れる人物としては(昔とはいえ)違和感のあるお人でしたから、
彼と殆ど口をきいたことはありませんでしたが、
母が彼と話ていたのをまた聞きしたところによると、
彼は戦時出兵体験者で、帰国後、(本人曰く)頭が悪くやれることがないんで、
この仕事をしているとのことでした。
でも、僕の印象では、彼は真っ黒に日焼けするまで精力的にリヤカーを毎日引いて移動し、
頼まれた仕事にものすごく集中していて殆ど休んでいるシーンを見たことはありませんでした。
「もったいない」と良く口にして、どんなもんでも修理しきってやるというオーラも出まくってましたっけ。
仕事も丁寧で細かい智恵がよく施されていた記憶もあります。(本当に頭が悪かったんでしょうか。。)
(毎日フロー状態だったんだろうな)
たまの仕事の節目に、私の母から一杯の冷水をもらい、
(ほんとうに)美味そうに飲み干す様は今でも記憶に鮮明です。
取るに足らない記憶のはずですが、こうも記憶に深く刻まれているのはなぜなんでしょうね。
なんか、すごく大事なものの気がするんです。
彼のことを思い出すと、尊敬の念とあったかい気持ちが湧きおこります。
彼の仕事する様は非常に美しかったと今にして思います。
あんなオーラが出せる仕事人になりたいなぁと今改めて感じました。
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