2008年4月23日水曜日

品評されるのも慣れてきた

最近、

「エッケイさんのお手並みを見たいのでなんかやってください」

「あなたがふさわしいかわからないのでデモしてみてください」

という機会が増えた。

子どもの頃からこういった他人に試されるとか選考されるというシチュエーションが嫌いでしょうがなかった。体が弱く発達も遅れていてあまり優れた子どもでもなかったからコンプレックスがあったし、何より結構繊細だったので他人に駄目だしをされるとすごく傷ついたからだ。

同世代の子どもに対する親戚の優劣批評、スポーツでのレギュラー選考、小論文テスト、大学のゼミ面接、就職面接、これらのイベントが嫌で嫌でしょうがなかった。特に人格に近い部分を見られるようなものがだめだった。

「何で他人にいい悪いを評価されないといけないんだ?評価するあんたはどれほどのもんなの?」

心にそういう気持ちがうずまくが、大概にしてそういう立ち場の人間は優位のある立場に収まっているから反発しても
「ああそうですか。残念でした。はい、落選。」
で終わり。こっちも弱者慣れしちゃって、愛想笑いしちゃったりして後で猛烈に自己嫌悪になったりする(実はそういう時ほどマイナス評価が多い)

でも、最近、そういう他人に試されるというシチュエーションに慣れてきた。
フリーで肩書きの無い人間を採用するわけだからそれに足る人物かどうか知りたいのは当たり前の話だ。仕事の選考は自分個人の人格とは全く別の話だ(選考する側は案外人格にフォーカスしているケースがあるけど)

まぁこういう機会でいちいち物怖じしていたら仕事なんかできないしねぇ。そもそも、それだけの仕事ができる自信があるからフリーになったはずでもあるわけだし(本当か?(笑))

元々、人前では緊張しない性質だし、NLP等を修得してからパフォーマンスも落ちなくなった(普段よりよい時もあるくらい)。

後はこちらの気持ちの問題だっただけなのかもしれない(幼少時のトラウマ克服ということか。。)。

会社員時代の晩年は、評価する立場にも回ったからよくわかるが、案外選ぶ側はノーアイデアの時も多いから心配するだけ無駄ともいえる。

目利き力のある人であれば、相手の実力が明確に引き出せる様なセンスの良い質問をしてくるから、楽しくその挑戦に応じれば良いし(だめならだめで理由は明確)、

「自分たちが実現したいことを助けてくれる人はどうやったら探し出せるか」苦労している人は不安な気持ちを持っていることが多いからその不安を受け止めて課題をクリアする方法を一緒に考えていく様に時間をすごせばいいし(自分がお眼鏡に適わなくても、いいヒントが出れば職業的な満足感は得られるから結構事後は気持ちがいい)、

何が知りたいのか分からない、質問も曖昧、この分野での知見度も不明、人を遇する際の最低限のマナーも無く尊大な人だったら、どうせ無理に取っても絶対仕事はうまくいかない(卑屈に仕事をとって、はまるとストレスも倍増する)。

よく考えればそういうことなんだよなぁ。そうだよ。これからは

「お客様、遠慮せずお手にとってよーくご覧ください。(ヒゲ生えてるんで)手触りは悪いかもしれませんがお品はそんなに悪くありませんよ。なんならお試しもできますよ。」

ってことでいきますかね。

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